2020-11-13 第203回国会 衆議院 文部科学委員会 第2号
次の二枚目のところに、その中で、「おとなたちへのおねがい・アドバイス」というのがありまして、「学校へ」の項目にこのように書かれています。「学校でもっとたくさん話を聞く時間を作ってほしい」、「学校が生徒の気持ちを知って欲しい」、「話し合える場が欲しい」という声です。子供たちのこうした願いに応えるために少人数学級が必要だと思います。
次の二枚目のところに、その中で、「おとなたちへのおねがい・アドバイス」というのがありまして、「学校へ」の項目にこのように書かれています。「学校でもっとたくさん話を聞く時間を作ってほしい」、「学校が生徒の気持ちを知って欲しい」、「話し合える場が欲しい」という声です。子供たちのこうした願いに応えるために少人数学級が必要だと思います。
政府自民党のおとなたちが強引につくった消費税で、消費税反対の一言もいえない子どもたちの心に大きな傷を残すことにならないためにも、おとなたちの責任で一日も早く絶対にやめさせなければならない。 というのが結論なんです。 ですから、前総理が、子供は戸惑いながら税金というものを身近に感じて、税の教育になってかえっていいではないかというのとは、全然反対のことが庶民で実際に起こっていることなんですね。
現代のおとなたちが子供の固有の権利を深く理解していないことのあらわれと言われてもいたし方ないわけであります。私たちは、今こそ憲法、児童憲章、教育基本法の理念というものにのっとって、子供の権利をどうおとなが考えるか。そして、それを保障する運動を全国各地で起こしていく、確立することが急務だと思います。
あの二十二日、冷雨降る川原に勇気をふるい起こして立ち上がった千人近い八鹿高校生は、いま歯ぎしりをして、おとなたちのふがいなさを嘆いています。きょうも高校生自治会の役員たちは、連日二時、三時まで、めぼを出し、睡眠不足でくたくたになって、このことに取り組んでいると聞いています。
こういうふうに生徒たちは、あの中で、おとなたちのふがいなさや警察に対する憤りを胸に深く抱きながら、しかし自分たちで、自分たちこそが学校、自分たちの教育の場を守っていこう、それで勉学にほんとうに一生懸命になろう、こういうような決議をやっておるわけです。地方自治体やそういう方面でも、また新しい動きも出ております。
それでおとなたちの世界もそのようなものがある。そのとおりに、先ほどの大臣が一番最初のお答えのときですよ、教育基本法、これからまたさらに勉強するという話の次におっしゃったこと、順法精神ということがすべてのごとき印象を与えるわけだ。順法精神というのは、人間生活の中のごく一部である、大切な一部には違いないけれども、ごく一部であるということはお認めになりますね。
おそきに失した感じもいたしますけれども、国民が、教育問題になるとなぜこんなに国会で議論をし、そして大のおとなたちがけんかをしなければならぬのかということについては、おそらく世の父兄、そして子供たちまでそういう疑問を持っておるのではないか、そういうことをこの委員会でもっと明々白々にしなければならぬ、そういう疑問に対してこの委員会の審議の中でこたえていかなければならぬ、私はそういうふうに思って、この質問
こうした問題を通じて、さっき長谷川先生からも最後に御指摘がありましたけれども、わが国はほんとうに国際的な地位を持たなければならない、国民、人一人が非常に国際感覚を持っていかなければならない、世界の人たちに対してのほんとうの連帯というか、親愛の情をほんとうに持てるような広やかな国民になっていかなければならない、その責任を持っていらっしゃると思うのですけれども、そこで固定観念を持ったおとなたちがつき合うよりも
でございますから、医療費が財源の主体となるわけでありまして、私どもはそれに重症児指導費という加算制度をつくっておりまして、現在加算をしているわけでございますけれども、この加算制度について現在の何か特別の基準的なものがやりくりでもってできないかということについて検討をしているわけでございまして、その考え方でして、一つの例として、いま検討しておりますのは、各施設について、大体、体重の面から見ると重い子供あるいはおとなたちがどれくらいいるか
究極的に申しますと、やはり社会全体がそういうことに対して、つまりおとなたちがそういうことに対して倫理性を持ち、道徳性を持ち、また親は親として、あるいは社会人は社会人として、子供たちに対して適切な指導を行なっていくということが前提でなければ、いかに学校教育だけでこの問題を取り上げてもだめだと思うのでございます。
よく青少年の非行等を言いますけれども、その青少年の非行というものを言う前に、おとなたちは一体どうなんだということを考えてみる必要がある。私は大学紛争と取り組んでみて、大学のゲバ学生というものは、これはけしからぬことであります。
というのは、本人たちが、複雑なあれなんで、イエスと言ったけれどもこうこうこういうわけでイエスだ、私は反対だと言ったけれどもこうこうこういうわけで反対だ、私の反対の意味というものを考えないで、ただおとなたちは、すぐ右だ左だとかあるいはマルだとかバツだとか、そういうふうに判断するといって、その二十歳になった子供たちがわれわれに対して反発をした。私は全く同感なんです。
あるいはその中におけるおとなたちのものの考え方、あるいは二十五年子供たちを教育してきたその意識はどうだったのだ、そうしてその結果がいまの大学紛争を起こしておる子供たちの意識にまでも変化を及ぼしておるのじゃなかろうか。ああいう暴力的な、衝動的なことをやるその背後にあるものは文明史的な一つの意味があるのじゃないか。
あるいはその他のところもひどかったと思いますが、したがいまして、おとなたちは、とにかく生きること、物をつくること、それに一生懸命になっておった。またそれでなければ生きていかれなかったんです。いろんな文化政策を言ってみようと、教育の問題を言おうと、精神の問題を言おうと、それはものをつくらなきゃならぬ、ものを豊かにしなければだめなんだ。
ですから、いまおとなたちがやっているこうした――四日市なんかは、行っただけでのどなんかやられてしまうようなところでございますけれども、そういったことが生徒さんたちが運動場や学校でたれ流しをしたと同じような構造なのだということ、そういう認識のしかたというもの――これがこれからどんなひどい状態になっていくかもしれない、あるいは是正されていくかもしれない、是正されてもまた別なことができてくるかもしれない、
自分さえよければというような子供たちが育ちますと、結局そういうおとなたちが一ぱいできるということになりますし、また、そういうような人たちが企業に入りますと、やはりそういうような企業だけの中心の行き方になる。そして公害を起こしても、それを何ら自覚、反省がないということにもつながっていくのじゃないか。
その場合に、反則金という新たな制度を——これは私ども考えさせていただきたい提案の一つではありますけれども、今日の時点で採用するよりは、いまある法律、おとなたちがその時代におつくりになった法律でやはり罰金をわれわれは取りたい。率直に申し上げて罰金を取りたい。それがわれわれの気持ちであります。
おとなたちがなわを張って、単にダンボールのあき箱でも何でもいいですが、そういったものにいま長官の言われるように書いて、それを下げただけでおとなが協力してくれれば、たいへんけっこうだと思うのでありますけれども、そういう点についての特段の指導をまた町会あるいは交通安全協会等にもお願いして、何とかこれを大いにひとつやっていただきたい、こう思うわけであります。
しかし、それはそれなりの理由があるのだろうと、こういうわけで、何とか子供たちだけでも安心して勉強して、おとなたちが責任をもって勉強させる体制をつくってあげるのが子供に対する親の責任じゃないかしら、あるいは国の責任、もっと言えば私どもおとな全体の責任じゃないかという考えでおるわけなんです。
しかしその間におきまして、いろいろのまだ憲法の精神や、あるいはまた教育基本法の精神というものが、十分にすべての教職員に、あるいはわれわれおとなたちにしみ込んでおるかどうか、あるいは、したがって子供たちにそういうようなことが身についておるかどうかということについて、いわば、まだ十分ではない。だから、われわれは努力をしなければならない、こういうことかと思うわけでございます。
おとなたちが、もうぼくはあとどのくらいしかないとかなんとか言うのを、子供は敏感で案外賢いのです、厚生大臣よりも賢いかもしれません。したがいまして、子供はちゃんと聞いていて、自分の運命を知っているのです。その痛ましいことは言うにたえません。それで、子供の病棟は別にしていただきたい。東京ですら別になっていないのです。
その施設の運営につきましても、その精神薄弱の子供たち、あるいはおとなたちの適性に応じまして、施設長やあるいは作業指導員等の職員によりまして指導訓練をしておるわけでございますが、その際の日常の生活費等につきましても、毎年予算におきまして、随時必要に応じましてその内容を改善するとともに、職員の処遇につきましても、毎年のように内容の充実、改善をはかってきたところでございますけれども、今後ともに、このような